ワイルド(野性的)に強く生きる。

ちょっと前まで勘違いしていたが、野性的に生きると言うこは強く成ること
ではなく 経験をすることなのである。
 
ワイルドな世界ではただ
強いだけでは生きていけないのである。

強靱な体力は無いよりあった方がいいが、野生では
それは
逃げることと、糧を得るために使われる。
生き抜くことのできる知恵は多くの
経験と臆病さである。

小生は、山や川で多くの生き物と面会する。
その殆どは、まず何より逃げる。
面会した一番大きな物はシカである。
次は大人のいのししである。

両者とも出会い頭にあったとたん、こちらも驚いて心臓が破裂しそうであったが
しかし、
それ以上に鹿やいのししのほうがは驚いた、鹿などは崖を転がり落ち必死に逃げていった。
本当は、角で一突きでこちらはおだぶつであろう。

知恵のある野生動物は人間には近づかない。
小生と巡り会ったイノシシは大変な経験を積んだ。
ワイルドな世界では自分より強いやつなど星の数程居るはずである。いちいち戦っていれば命は
いくつあってもたらない。

その点人間は勘違いしている。 
 例のランボーの様な事をしていたのでは命は100個ほど必要。
あれはワイルドではなく、乱暴・むちゃ・粗暴というモノである。

危険や災難から徹底的にまずは逃げる。  その事象を遠くから観察する。
人間社会もワイルドな世界である。 
自然の野生界とは別の世界で野生界が作られている。
何かの障壁を越えるには 臆病になり、まず逃げ、遠目で観察し 乗り越える道を探す。
そうしなければ、心の泉は涸れるでしょう。(精神的にもたない。)

野生の世界で大きく育った動物は全て臆病者です。
そうでなければ生き残れない それが  ワイルドな世界の掟なのです。

その証拠にネズミやゴキブリも大いにのさばっています。  奴らは徹底的に逃げの一手


私は山の中や、孤島で生き残る自信はあるが、それは体力が有るからではない。
生き残るための経験が有るにすぎない。

野性的に生きる反対語は理性的?
理性とは作られたものであるから、人工物である。
しかし、人が所属する群で生き残ると言う意味では本能的であるから人工環境の中での
野性的と言うことなので反対語にならない。

誰かの都合で、人を理性的にするため「教育(理性)が必要」
 と自分(独裁者)の都合良い加工された理性を植え付ける事となる。

本能も理性的も生き残るためのプログラム、または情報で同じ事であろう。
本当の反対語は粗暴・暴力的となろうか。
無理矢理教え込まれた理性や粗暴では自然界、また人工的環境でも生き残る%は確実に減少する、

FIN

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粗暴な熊(人も)は、ことごとく射殺される。 これは自然界の掟
否野性的なのだ。
生き残ることはかなわない。