知識 ・ 知能 そして知恵

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知識は情報 知能は 知る能力と 記憶力だろうか?

もし、そうだとしたら、 もはや 左にある大型コンピューターとネットワークには

全くかなわない。

知恵とは 知ることによって得られる めぐみ であろう。

したがって 前記の三者の結論は知恵が終端であろう。

そう考えると 大型コンピューター と ネットワークで我々は膨大な知識を
得られるている。

知識・情報などあり溢れている。しかし 人々はめぐみ おおき 
幸せな日々をおくっているのだろうか?



残念ながら、機械が得られる情報 知識は 極端な 偏在が存在する。

現在 AI がはやり言葉になっているが 儲かる企業はあっても
決して 知恵にならず 利得になっているの過ぎない。

知恵に結び付けられる必要な情報は愛がなければ 得られないのである。

どうしてなのか?

なぜなら  機械に五体がないことによって体感は経験できない。 よって他人の
体験的な情報を多く必要とするが その真偽は不明のままだ
なぜなら 体験できないからだ。 機械得る情報は噂話の域をでられない。
無責任この上ない。

さらに  死ぬことを知らない 
聖書の解釈にも同様な部分がる。

神は
愛を体感したく人間を作った。 神は全知 全能 であるが経験はできない。
不死で肉体を持たないからである。
生死 愛、苦しみ は肉体を持って経験できる。 そして感動できその喜びは
無限大である。 

(そして 運命か アダムとエバが禁断の知恵の実を食すのである)


残念ながら機械に愛を教えられない。
肉体のないものには それらは知りえないのである。 
人にとって最も大事な命のことについても
その 重要性を認識できない 病はわかっても 命はしらないのである。

機械にはレジューム(留保)が常に用意されている。
これは現代(今)、 眠らぬ大都会で暮らす人々にも言えることなのである。

大事なことを忘れたふりをすることに慣れている。
実に恐ろしいことである。














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