選択的自然保護と民族
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歴史とは過去と現在の対話である。と言われていたが、

一部の人々の恣意的な解釈にて史実を変更されてはならない。

パンダはかわいいので保護に値するという解釈と自然の多様性の保護のために
必要であるのとは大いなる違いがある。
絶滅品種は環境の変化で絶滅するが人々の自然環境に与える影響もまた
自然な現象であり 人が生活していくうえで生存環境が相いれない場合もある。

また、民族においても消えた民族は数え切れないほどあるのだとも思われる。
各々理由があり戦争や融合などである。

消え失せた民族、消えかかる民族の伝承は悲哀に満ちた情緒で語られる場合が
多く、史実とは別である。

物語としては残すべきであるが史実と誤解して史実を歪曲してはならない。

まさに パンダを守るために保護地区の住民を迫害したり移転させる等もってのほかである。

民族においてもこの類の情緒による恣意的な民族意識が散見されるのは残念でならない。

現代はコミニケーション手段が多彩になり、史実と悲哀の情緒の区別を区別できない人があふれる。
それらの意識が史実を大きく歪曲させる可能性が現代でもある。

だが、注意深く史実を精査すればわかるのだが人は情緒に負けるのが常で、そのたび
歴史家は闇の中でひっそりと星を数える運命なのである。

情緒で語る哀れな物語を伝えるのは
、紀元前のソクラテスの時代のソフィストにほかならない。




end