哲学は何のためになる

人々の役に立つのか??

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今の哲学はパンツである。  それ以外の役には立たない。

嫌な言い方かもしれないが、ソクラテスの嫌う 「 ソフィスト 」だ。
詭弁で物事を誤解せしめ先導、誘導 するための道具が
その詭弁である。


昨今の学者や経営者等が人々を先導あるいは教育するための
ウエポン(武器)とされる。
何のことは無い 大事なところを隠す または 保護する目的の言論術である。

哲学にそのような目的は無かった。 そのように利用されたのである。
勿論 利用する者たちの中には 宗教者が多く存在している。

哲学も宗教も元来目的は同一であるはず。
つまり 人々の愛である。  愛の育成にその目的があったが どうもいけないのは
目的が欲に支配されて軌道が修正されてしまった。
まことに残念である。 さぞかしソクラテスも悔やんでいるだろう。

プラトンの国家の冒頭に出てくる 「ケパロス」という老人がかくのごとく語る。

「 年を取ってよかったことは 欲というものが無くなったこと と
   
 借りたものを返せたことです。」

と語りました。
これは理想を語っています。

今の老人をご覧ください。
そのような方がどこにいらっしゃるのであろうか?? はなはだ疑問で
代表的な方々は
桜田門の傍に集中的にいらっしゃります。

はたまた、高級車に乗り有楽町かいわいを散策する僧侶も少なからず 哲学者、宗教人
もケパロスになれず 輪廻転生なのであるが
プラトンの言った。
 「 戦士エルの物語 」(プラトンの国家 最終章)
は朽ち果てた昔話となりにける。


現代を見るに 彼 ソクラテスの仰る通り 民主主義は腐敗の政治なのであろうか??
彼は哲人が政治をなさない限り人々に幸は訪れないと仰りますが

さて そうなのであろうか 老い先短い小生ににとっては気になる事柄である。