インド人哲学者サーカーという学者が社会は3つの社会構成で
循環していると言っている。
軍事力社会 学識社会 経済社会 の社会構成循環です。
面積は時間的な広がりを示します。
残念ながら、庶民によるコントロールの時代は長く続きません。
悔しいかな、かのヒットラーが言うように、「大衆はアホや」なのであります。
正しい意見も、あほな意見も同等に扱う時代になれば
勉強しようが、しまいが多数意見が尊重されることとなるからです。
ほかの2つの社会形態は判断基準が明確です。
「強いか、金を持ってるか」 二者択一しか有りません。
しかし、そもそも社会を構成しているのは、暴力でも、金でも
ありません。
人民です。
大衆は「アホ」なので、混沌とした意味不明の無政府
好き勝手社会になるようで、最悪と言っています。
その片棒を担ぐのが知ったかぶりの 頭じゃくし ということ
なのだそうです。
人間が集まり社会的な構造を造ると始まる社会循環
2013/04/07 加筆
今後の世界の、いや、会社の盛衰もこれで簡単に予測できます。
古くは、古代(ギリシャ:紀元前400年ごろ)プラトンの対話集
「国家」 にその起源を探れる。
プラトンはその著書の中で 社会循環をソクラテスにかく言わせている。
最優秀名誉(戦時の優れた能力者)政治→寡頭(かとう:独裁)政治
→僭主政治(せんしゅ:主人になりすまし。)
→民主政治 →?
しかし どの政治体型も徳がなく循環していくようである。
結論として
徳のある政治とは真の哲学者が行わなければならないと言っているようである。
まさに輪廻転生のごとく政治体型も輪廻していくのである。
ヨーロッパやアフリカの情報を知れば知るほどその先が明確に予測できるでしょう。
太陽の黒点と同様庶民が生き残る為の重要な法則がここにあります。
以上の様な循環(社会の輪廻)から解脱(脱出)する為には、その原因を絶つことが必要。
(富の集中、軍事力の集中からの離脱)
そのもっとも有効な手段は、社会規模の縮小と考えている。
ヒットラーが言うように、大衆は集合すると「アホ」になるから、その限界を探りアホになる
手前の規模で小規模な循環型社会(自給自足)にすれば良い。
この基本的な考えが神道のムスヒなのだが、その言葉さえ 化石になろうとしている。
民主主義の手段、条件が多数決と言うところあたりから民主主義も
狂いだしたのであるが、、、、、さて
ベンツに乗って軽井沢の別荘に夏の週末通っている爺さん達がそれを変えられるだろうか?
とても大きな動機が必要であろう。
考えたくはないが、関東大震災または映画のアルマゲドンの様な地球的な規模、または
地域が滅亡しそうな災害、戦争などが動機と成りうるのである。
(社会エントロピーが減少し、リセットされる。)
こればかりは人の力ではいかんともしがたく、また実際にそれらの災難が起きたとき
その通りになるかは神のみ知るところである。
一人一人が真剣に取り組めばできるというのは少々甘い考えであろう。
end