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石油は作れない    その発想が経済学にない!

石油の枯渇時期は毎年少しずつ延びているが
北米のシェールオイルなどもその仲間に入れればまだ、かなりの量が
残されているが、それにしても今世紀が限度であろう。

新たな油田や採掘技術を持ってしても枯渇することは間違いないのだが、
一方風変わりな石油無機質説というのもある。

それは石油は地下のマグマ、マントルからわき出ているので
およそ無尽蔵に出るという説だ。だが確証はない。
いくつかの状況証拠を判断材料にしているので、当てにならないと
思った方が賢明であるし、このまま石油を全世界で大量に
使えば、温暖化は別として地球環境は人の住めない物になる。

環境問題も今や経済的な問題として検討の対象になってはきたが

先進国は現在の生活水準を下げること無い様に環境汚染を後進国に移し替えて、保身をはかる。
後進国は環境問題など後回しで ばく進 している。  全くどうにもならないことになってしまっている。

およそ
経済学という物は 人の心と体 の関係に酷似している。

人の心は先を見つめて居るのだが、体は今、現在 せいぜい明日程度の時間的な幅でしか
物を判断できない。

すると、人の
経済学で考えるのはせいぜい年単位でしかない。  そして心に当たるのが自然だ。

日々気にかける環境の各種指数など、地球の環境を表すための指数としては
重箱の隅の米粒程度の物である。 我らが住むのは 地球の極薄い殻(から)の上にすぎない。

地下深くにある石油等の鉱物資源がいったいどのように地球環境に影響を与える等は人知をこえた
ところに存在する。
特に、エネルギ関連資源は金属資源と違って、
エントロピーの法則により二度と戻すことはできない。

経済学が将来にわたって有効ならば 
その時間軸に 地球環境の限界値が無くてはならない。

経済学の根本にある、西洋文明(キリスト教的)は
資源は全て人のために、神(自然)が与えて
くれた物であるという
おごりがある。

しかし、それはよしとしても、そこに時間軸を入れなければ、人の体と同じ直近の欲望に支配される。
それを制御しているのは 心の機能として 自然があることを忘れてはならない。
人は今だけに生きているのではないのだ。
100年や200年で資源を使い果たしたとき、未来に人は生き残れるのであろうか?

全ての資源は 人のためにもあるが、その目的を達成するため間接的に
地球の環境を守るためでもある。

そのあたりは東洋思想であるが、地球をだめにする前提で 火星移住など考える
西洋文明には少々 違和感がある。

既に、遠い過去において 火星には大いなる湖があったことが発見された。
火星は地球と同じ環境であったされるが、
もしかすると、地球も火星と同じことを繰り返しているのではないか?

ふと、そんなことを感じている。











 

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