人は何ゆえに利己に

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人の存在理由にも関連することで ある錯誤からそれは始まった。

左の絵は三大宗教で言われるところの 人類初の殺人事件のカインのアベル殺しである。

弟をねたみ兄カインがアベルを殺したという事件である。

宗教ではねたみで終わらせているが 人の誕生した理由を明確に表現していないために
多くの疑問が残る。

ただし 人が創造(誕生)された理由は明確に表現はされている。
讃美するため 愛すため なのである。(経典では)

しかも 神様と同じに作ったのである(内部構造:心)
それなのに何故?  である。

簡単な話である、神様は肉体を持たない。したがって欲に引きずられることはない。
しかし 、より強く愛を経験されると思って肉体を持たせた。
(強い愛を経験させるため)

先を見ることのできる 神様もここで少々手を抜いたのか??


いやいや そんなことは無いのである、つまり肉体という欲の塊の中苦痛を克服して獲得できる
愛があったらもっと素晴らしいのであろう。
(と思ったに違いない)

とんだ大迷惑である。

人間は羨望と愛を時々大きく勘違するのである。 それは簡単にわかる。

人は愛し愛されるために生まれたとすると、多くの愛を獲得できることがゴール 
てなもんで 

手っ取り早く荒稼ぎしてベンツ いや いまや 赤の 買うんタックだべとなる
羨望されると余計に派手なことをして注目される この羨望を愛と勘違いする。

神様の
人作りには問題は無いのだが 人それぞれ環境が違うのでなかなか残念にも
気づけないのである。 そのために何度も生まれ変わるのである言うのが
仏教で仰るところの
輪廻転生のあり様にもお思われるが 如何に 。  

さて なかなか その羨望と愛 恋と愛の 区別など 性別の様にパンツを脱がせば
わかるもの? 
ではないようである。  今ではその例えも最適ではないのかも。


と、
田舎のとある老人は考察しているのであるが わかるまでにあと何回
生まれ変わるのであろうか?! そう考えると よく寝れる。

夢の世界か
あの世で ソクラテスに会うのがたのしみだ。




END