不可解な未来 2008−01〜

歴史、科学が未来を予測するために役立つか?

不可解な未来

未来など分かるほうがおかしいのですが、予測したがり、知りたがるのが人の常な
のであり、人間としての本能なのかも知れません。
未来が分かったところで、どうにもならないのは考えてみれば分かるはずなのであり
ます。
替えようが無い、それが未来というものですから。
未来が分かって替えてしまうことが出来るなら未来とは言わず「演劇」や作り事に
なります。
しかし、自分の事は分からずとも、世の中がどうなる、地球がどうなるは、どうして
も知りたい。
知ったところで何かできるわけでもないのですがね。
そんなこんなで、小生のちょっと変わった方向からの経験と学問から思考すること
としました。

さて  本題・・・・・・・・・・・・・・・・

私たちが未来を予測したり対応したりするのは過去の経験、又は情報です。
コンピュータのプログラムも人間の DNA も同様です。
人の DNA のプログラムはいかにも予測していたかのように新型のウイルスに対応で
きるのは、過去の成功したやり方を記憶しているからにほかなりません。
それらが万策尽きればジエンドであります。

一体、過去の情報を素に未来が正確に予測することは可能なのでしょうか?
宇宙の歴史からすると人間の経験した事象などほんの一部でしょう。
地質の情報から恐竜が隕石の落下で起きたことなどやっと最近気がついた程度のも
のです。

その昔、上野の国立博物館にて恐竜の絶滅の説明は食料危機などの天候異変が主体
で一部の隕石落下説など、とんでもないでたらめのごとく、小さい文字で右下に書
かれていました。

詳しく地質を調査すると実は過去に置いて大きな天変地異(噴火:隕石の落下)な
どの証拠が見つかったのです。そのような事象が起きたときにまき散らされるバナ
ジュウムが特定の太古の地層に広く飛散していたのでした。
しかし、その原因は皆目見当がつかないのが現状ではないでしょうか。
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、「灼熱の氷惑星 天体 M」と言う冊子が
30年前程に出版されました。

その当時はノストラダムスの予言程度(信憑性無し)とSFの世界だけの話とされ
ましたが、昨今、太陽系の惑星の軌道を精密に計算し直したところどうも、地球と
同程度の惑星が潜んでいそうだと何かの冊子に出ました。
(高橋実著、原書房1975年発行、現在絶版)
十分あり得ることです。
地球環境が人間の活動で変化してきた昨今、単に実証主義、論理主義の科学を枠を
越え、また宗教の枠も超えて大胆に未来を予測するのも一興かと存じます。


「科学の限界」

人間は未来を知りたくて、占い師や預言者の言葉を聞くが信じようとはしない。
自らの想像の産物である科学を信じたいようなのである。

しかし、その科学なるものは決して未来予測できる代物ではない。そのことは人間
自身良く分かっているのであるが、残念ながら他に信じたいような物は存在しない。
同様に人間に想像された神が唯一の救いに成ると心の奥では信じたいのである。

不遜ではあるが、見たことが無いし、経験もない物を一体全体信じて良い物か躊躇する。

人にはやがて死という物が訪れるが、このことも実は未来同様で信じられない
でいる。
過去については割とよく分かるであるが未来については、ほんの一分後も
予測は当たらない。ましてや、富士山が噴火とか、大地震が来るだとか時々言い出
す御仁がいらっしゃる。
それは余興とて受け止めているうちは良いのだが、真に受
ける方にはこまったものである。

そんなこと書き出した小生も同様「あほ、馬鹿」
のたぐいなのであります。従ってご期待の通り未来を予測致します。その未来成る
物を予測するに、科学はあてにならないと前に書きました。「?」とお思いの方に
少々ご説明致します。科学はそもそも説明のためにだけ有ります。また、微少の世
界の法則や予測を行います。
そこが専門の分野です。規模が大きくなるとまったく
予測不可能に陥ります。例は挙げるまでもないのですが、皆様ご存じの天気予報な
ど典型的にご理解頂ける情報・説明でしょう。
TVの天気予報をご覧の貴方・・・
・。「そこまで、分かってるんだったら、あたる予報しろ!!」「腐った、豆腐を
食うときは気象台に向かって食え」等と言ったことは有りませんか。

この地球、宇宙はとても小さな物が集まって(又は分散)できています。砂の一粒はどのくらい
の風で吹っ飛ぶかすぐ分かります。しかし、鳥取の砂丘や、海岸の砂の動きは簡単
には予測できず、あちこちに防砂林やら、テトラなど設置しますが、何時の日かそ
れらの物は見えなくなります。

直近のことならともかく何とかできますが、遠い将来については予測不可能です。だから人の努力で手を加え、手を加え丹念に修正するしかないのです。
宇宙ステーションも同様、常に修正しなければ地球の引力で吸い込まれるか、宇宙に放り出されるかなのであります。
宇宙ステーションの場合は
自体に燃料を積み込んで(詳細は不明ですが何らかの液化ガス)それを噴射してい
るのです。勿論無くなればその運命は知れた物です。話がハナからそれそうなので
宇宙ステーションの話はここまで。

つまり、科学の方法でも未来は予測できるのですが、分子原子の全ての動きを計測しなければ成らず現在の、いや、今の科学(コンピュータ)の構造では不可能であります。だが、超マクロ 宇宙の観測等にはある程度予測可能になっています。そうでなければ明日お日様が出るのもあてにならないことになります。
その種明かしは、天体などは一個の原子として扱えるからです。

勿論それほどな大きな原子など今は発見されていません。しかし、そのように
扱えるとういことは、科学の得意な微少な世界の予測可能の原則が当てはまります。
それは、太陽系の惑星の動きなど典型でしょう。だいたい当たります。しかし、あ
くまでおおよそです。100分の1秒までとは行かないかも知れませんが、少なく
も秒単位では確実に動きを予測できるますが。より正確に予想できないのは、太陽
も毎日燃えて、質量を熱や粒子に放出しているし、惑星にも、隕石が落ちて重くな
ったり軌道のやたら遠い惑星が知らないところにあったりするからです。でも、日
常生活には何ら問題は有りません。

えっ そうですか。実はそうではないのです。

 以上述べて微細な現象の計算はしようと思えば計算できます。しかし、とても面
倒で誰もやりたがらないし、やってもお金に成らない。まったく、月の裏側のクレー
ターの数のような、吉永小百合の背中のほくろの数の問題です。つまり科学で扱え
るのは数が少ないか、「いっぱひとからげ」のような存在で、いわば一般庶民の所
得のような物だけ。

ええっ  お役所では一般庶民は一個の分子として扱います。
 勿論、高額所得者や大企業は計算の対象です。貴方が役所で何を叫ぼうと誤差の
範囲で計算のデーターとしては「無視:0」で、一般大衆の一部と言うだけです。
気にしないことです。血圧が上がるだけです。

「宗教の限界」

人間が想像したことに置いて、一般庶民を惑わす存在は科学と同罪が宗教です。
ここで言うのは「宗教」、キリストでもお釈迦様でもマホメットでもありません。今、掲げた偉大な方々は全て自らは教典成る物を執筆しておりません。

キリストはその弟子が伝承したことを何方かが書き留めた。仏教については、教典に「如是我聞」が大原則です。
つまり、「私はこのように聞いた。」と言うことです。コーラン(イスラム教の教典)
についても同様であります。
マホメットが天使ガブリエルに掲示をうけ知らされた
ことをマホメットの弟子が聞いて書きしるしたことをかき集めた物です。

キリスト教の宗教革命はそのような世界から一般庶民を目覚めさせました。旧約聖書や新約
聖書は一般庶民に読むことも聞くことも不可能な言語で書かれていたし解釈も宗派
によって千差万別、ひどいことに牧師が勝手に解釈し、魔女狩りや十字軍の遠征な
どで多くの一般庶民を殺戮しました。

しかし、その革命によって、一般庶民が読める言葉に翻訳され、印刷されました。一体それがどうしたことか?実はとんでもないことに成ったのです。

今まで、でたらめ言い放題の牧師は一般庶民から「そんなこと、聖書に書いてないが、いかがしたことか、  聖書の終わりには、聖書を変更した者は罰があたると、かいてあるぞ!」
その牧師は逃げ出したかどうかは不明です。

文盲をうまく利用していた部分が宗教には多くあります。日本に置ける外国
語の扱いもよく似ています。今では、だいたいの宗教が日本語やその他自国語で翻
訳されて誰でも一応原典と呼ばれる教典を現代語で読めるように成っています。
そうなっているにも関わらず、読まないのは本人の問題です。信じるか信じないかは
本人の問題で宗教の問題では有りません。

しかし、知らなければ理解不可能です。
このあたりは科学と一緒です。科学も前提が有ります。それは、つまり直線とは・
・・・ 直角とは・・・・等ですしかし、そのような物は自然界には有りません。
あくまで想像して初めてあることなのです。

従って信じなければ科学も宗教とまっ
たく同一な存在なのです。仮定を信じるか信じないかのところに集約されます。宗
教を信じる人は科学的ではないというのは、その逆もまったく当てはまる事で発言
してはいけない禁句です。科学にしろ、宗教にしろ、本来の目的は人々(庶民)の
懐を満たすか「心」を満たすかの違いで幸せに成りたい、又は幸せにしいたといっ
た目的なのです。少なくも私はそう信じたい。
従って、仮定や定理、存在を信じる
か信じないか、つまり見ることも存在もしないカモ知れないものを「貴方は信じる
か?」と言うところで同一の欠点を持ちます。
何しろ、完全平行な線、完全なる円、
天国や地獄を信じなくてはいけないのです。さて、貴方はどれから先に信じていま
したか?

「進化論の限界」


科学と宗教の対立はガリレオの天動説やダーウイン進化論が有名です。確かに旧約
聖書には人を創造したのは神様と言っています。
しかし、一週間に全ての物を作る事など不可能です。ですが現代の科学では不可能ではないともいえます。

無限に長い時間と寿命が有ればできるかも知れません。
今の宇宙は誕生から150億年とも言われています。

もし神様という方がいらっしたとして(仮定)、
人間がほしいと思ったら時間など関係なくいくつかの粒子を作れば事足りるのです。

現代の素粒子論で行くならホゾンなどの素粒子を創造するだけで事足りるのです。
つまり150億年たてば人間が生まれるのです。
実証済みです。素粒子の作り方を
間違えれば、また作ればよろし。必ずいつかはできます。従って、偶然に人間、地
球、太陽、宇宙ができたのではなく誰かが最初の素粒子を作ったのではないかと疑
ってもいいのです。また、初めに作った宇宙が気にいらなければいくつでも作れば
よろし。時間など関係ないのです。

かの地獄に堕ちたプロメテウスのように、大きな石を山頂に運び上げたとたん、石は転げ落ちまた上げる。そのうち石が削れて小さくなり投げ飛ばせばいいのです。
時間を無視すればよろしいのでは?
進化論などと表現するから誤解が生じ、逆の退化する等の劣等的な表現とつながります。偶然論では論理に成らないのかも知れませんが。
つまり、生物の進化には石など、いや、
意志等はない。全て偶然の産物で生き残った理由は、環境のみが説明できるにすぎま
せん。

強い意志が有れば進化できる程自然の環境は優しくないし、親切でもありま
せん。
また、裁判官でもありません。現代に生き残った生物を観察し、理由をつけ
るのが科学ですから。でも、未来の方向については語れません。

自然環境が劣化(人間にとって)したから、これからはゴキブリが生き残る等とまったく
場違いな予測をする方がたまにいらっしゃる。
ゴキブリは人家が無ければ生き残れないので、多分人間と一緒にくたばると思います。
そのような事が分かってる神様であっても、太古の人類に

「君たち、私は素粒子を創造したのだから法則は・・・・・」と、

もしモーゼ(旧約聖書の主人公:作者?)にいったとする。モーゼが生
きていたとしても、それが理解できるに6000年程かかる。モーゼはそれほど長生
きできなかった。
神様だって少しは人間の事を考えて話すに違い有りません。ともかく、
もし、神様が作ろうが偶然であろうが、進化などと言った概念はどうもおか
しい。

もし、進化論 、正確な理論で有るならば未来を予測できるはずであるし、
宗教もまた未来を予測しなければ成らない。

そうなった筋道のみを説明するのは天気予報と同様

まさに、進化論も、お前も未来を予測し得ない。

では、未来は永遠に未知なのだろうか?

いやいや、貴方の未来は決まっています。  天国か地獄  それは貴方自身が
よく知っていることです。



続く  かもしれない


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2010/10/27修正