戒名(かいみょう)はクリスチャンの真似

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空海という坊さん は 頭が良すぎて 今でいう スーパーコンピュータに匹敵する
御仁でした。

空海が修行した有名な寺のそばにも景教(キリスト教)寺院(教会)があり
彼が頻繁に通っていたことはわかっています。

その当時中国は世界の文化が自由に混濁していました。
混濁とは少々失礼かもしれません。

とにかく、景教がヨーロッパで広がった要因の一つに、ローマ帝国の国教になったことがあげられ
空海もそのことは十分い理解していたはずです。

さらにクリスチャンでは洗礼名(クリスチャンネーム)を与えることが教会に所属する
信徒の確保に有効で手段で 信心にもかなうものであることを理解したと思われます。

確証はありませんが 彼が持ち込んだものでしょう。
戒名をもらえば極楽浄土・・・・・・・・・・・・ 賢い発想です。これは金集めには最高
金持ちほど金出しますね 後ろめたいところがたくさんありますからね。
貧乏人はちょっと辛い。 戒名もらえないで全員 地獄域ですね。


空海 すんばらしい 商売人です。

日本おいては彼が持ち込んだ仏教ははっきり言って正確な意味では仏教ではなく
空海教です。
その辺のところは書くときりがないので今回は 書きませんが 
お釈迦様の時代には戒名など存在せず 勿論偶像崇拝も忌避されて
ましてや人の名を勝手に変えるなどとんでもないことなのです。

日本の寺!!
訳の分からに名前を付けてお布施(金品)を強要し その金で銀座のクラブ??

お釈迦様が見たら卒倒することでしょう

これは キリスト教にも言えることです。

神様 仏さまは 戒名やクリスチャンネームに関係なく人は平等に見守っています。 
神様が作った大事な存在なのですから。

神様がいたとしたらな。






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