イスラムについて

日本でイスラム教と呼ばれている宗教は
マホメットが教祖です。
しかし、多くの方がご存じないのは、
マホメットもキリストも
同じ天使「ガブリエル」に啓示をうけた
と主張するということがらです。
立証の方法はない。
だが
非常に重要な意味を持ちます。  
キリスト教はモーゼが神から啓示を受けて
預言者となり、その預言で生まれてくるとされたのが、救い主(メシア)がキリス
トとされています。キリストと救世主の意味です。


どの宗教も
人間が文字にしたとき、編集者の思いこみを排除できませんし。信者を
増やすにもある程度の生活習慣を取り入れなければならず
時代の価値観が残り、現代とは矛盾する部分を多くあります。 
その矛盾の
解消をするのが宗教学者たちなのだが。。。。。。。。。。。。。。。。。。

ちょっと乱暴で失礼だが簡単に説明すると、
旧約聖書はユダヤ教として残り、キリストの布教はキリスト教新約聖書となり、その後
マホメットがでて最終的に神からの教えが完結した。 と考えるのがイスラムとなります。
時代的にもその順になっています。

今の時代イスラム教徒は野蛮で誰でも傷つけるイメージに成っていますが実は大きな
誤りです。
教典のコーラン(日本語よみ)では、無差別に人殺しをするような教えは有りません。
それどころか、異教徒に寛大であります。 布教当時はユダヤ、キリスト教徒とも
仲良くやっていたいたのですが、ユダヤ教徒がマホメットに
融資しなかったことで、排除するようになっり、さらにキリスト教徒の暴挙
である十字軍の侵略で対立は決定的になりました。

コーランの全体的な内容
小生も少々かじった程度ですが、ふと、思ったことは、教育勅語(きょういくちょくご)に
似ているなと思った程です。
ただ、キリスト教が愛に終始しているのに対し
少し旧約聖書に近いイメージを受けます。 つまり、厳格なる父親の
感じがします。

特徴として
一応ざっと読み通しましたが、どうも新旧聖書からの抜粋が多く、それにアラブの習慣
を再構築した印象を受けます。

当時は文盲も多く、キリスト教と、ユダヤ教のいいとこ取りですから説得力が
あり、一般大衆は信じざるを得ない社会環境であったと思います。

多くの部族単位の地域を統一して外的に対抗するには必要不可欠な
戦略的意義が今でも この地域には必要です。

現在までには、ヨーロッパ諸国のしんりゃく、略奪、さらに彼らの利害関係で
部族単位の生活から
西洋人の軍事バランスのみで国境線を引かれたために
国境線で分けられた地域の部族の大小で政治が偏っていてしまい、大きな不安定要素
を抱え込んでいます。

さらに悪いことに部族単位で宗教指導者の
解釈が違い、
異教徒より、異端(解釈の違う派閥) を神への冒涜とし
強い敵対心を指導者はつくりだします。

シーア、スンニ派が有名ですが、これもマホメットの孫同士の争い
だったと記憶しています

自分たちの部族の行いは宗教指導者によって「アッラー」の名の下に
正当な行為であるとあおります。

約2000年前の生活にはなじむが、現代の社会では矛盾が多いので
宗教学者が勝手に解釈して押しつけている印象を受けます。
 何せ、信じないと地獄の業火に焼かれるとひたすら幾度も書いてあるのが
私には 慈悲深い神と矛盾して感じられました。

強く怖いイメージを受けるのは私だけでは無いと思われます。

アラブの荒くれた地域的な環境もあり、もめ事の解決方法や夫婦のあり方など
生活全般を網羅していますが、あくまでその当時の生活規範と言ったイメージです。
ただ、現在も生活習慣が大きく変わっていないと言えばその通りなのかも知れません。
しかし、他の地域にこの規則を適用した場合かなりの不具合が生じそうです。
小生が気になるのは、信仰しなければ地獄の業火に焼かれる類の
話が多く、信仰を強制しては成らないとされているものの、これは脅かしとも感じられる。

旧約聖書の天地創造を信じているのであるなら、神が人を造るとき
神を信じない人間を造ったとは信じられない。 神は全能であるから
未来も過去も知っているし、其れさえ造れるのであるから  神を信じない人間を造って
地獄の業火で焼くのは少々疑問が残ります。 
だが、それは全ての宗教に当てはまることですね。
それはさておき、

さて何故このような慈悲深い教えの中から無差別殺人など出て来るのでしょう?


実はキリスト教徒も同じ事を十字軍で行っています。  無差別大量殺人です。
これらは全てその指導者が教典を勝手に解釈し行わせたものと思います。

そこには教典に対する文盲が見え隠れしています。
キリスト教は宗教革命という荒波を乗り切り、ラテン語で書かれた教典が誰でも読める
言語に変わり解釈が個人でできるようになりました。  牧師が間違っている場合は
正せるように成ったのです。
コーランはアラビヤ語で書かれてるとはいえ、古語であり意味は判然としない部分が多く
残ってるのではなでしょうか。 

そこに、宗教指導者の解釈の余地が存在すると思われます。  知識程恐ろしい武器は
有りません。また、反面最大の防御にも成り得ます。
知恵、知識が無くも武器は使えますが、武器で人を救う事は不可能です。
それを行わせる知識・知恵とは一体なんなのでしょうか?
考えてみてください。
小生のエッセイにも文盲(もんもう)お話を掲載していますが、この話は単に文字を読み書き
できれば、と言う話ではなくもう少し発展させて考えると、人間がいくら努力したところで
その知識のレベルは大差ないのですが、  その知識を使って人を傷つける事は可能です。

大切なことは、命の尊さです。
人に限らず、生命の発生は人の意志によらないのです。   勝手に生まれたのではないのです。
確かに、科学が発展して、卵から生命が誕生する仕組みは分かったつもりでいますが。
では、何故貴方が生まれたのか?    長い歴史数億年の時間が過ぎた末の出来事なのです。
先祖が居なければ生まれていませんし、三葉虫が居なければ人間も居ません。
未だに、その原理は分かって居ません。
どんなに科学が発達しても証明できません。
さらに言うならば、原子自体が何故生まれたのか、何故ビッグバンが起きたのか
証明不可能でしょう。
人間の知識や経験ではせいぜい仮説の範囲、超えることはできません。

偶然にしろ、神様の意志にしろ生命が誕生したことは奇跡なのです。
人の意識によって人を殺したり、自殺したりしてはいけないのです。


TOP

宗教、哲学の間違い

モーゼも、マホメットも戦いの中で多くの啓示、予言をしているところから両者の主張は酷似して
いますが、書かれた時代が大きく違うので、イスラムの方が情報が多くなっている印象を受ける。

キリストは愛の人で戦うことを教えていません。だが、前二者の教典は軍隊の統率者的意味合いが
強くあり平和とは縁遠い感じがします。 
モーゼも、マホメットも戦乱の時代の軍隊や国の統率
目的が強い時代背景
があります。  

その二者が中東に隣り合わせで存在する必然は一体何によるものなのか?
これでは戦争は無くなるわけがないのであるが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

イスラム教、キリスト教の過ち?

マホメットの過ち