報道と量子論

もどる

すでに何度も書いているが、左記のスリット実験で光が粒子と波の性質
を兼ね備えていることを証明した話 有名な話だ。

しかし、正確にはこの現象は人間が観測していると現れる性質なのである。
これも 実験よって確認されている。

つまり、人が観測している場合と そうでない場合、粒子の性質は違って観測される
のである。

また、原子核の周りを飛び回っている電子も正確には観測できない。
観測できるのは質量か位置のいっずれかである。 残りは確率がわかるだけである。

上記の実験の因果 法則などは不明である。 宇宙はそうできているとしか言いようがないのである。
ただ 観測者がいる時の変化と 観測手段(観測機器)の影響はべつである。
観測手段の影響は当然あるが 正確な予測は困難な場合が多い。

実は報道というもの 事実 を報道すると言ってはいるものの 
観測する行為 報道する行為によって内容の偏向
伝達ソースの種類による偏向 は必然なのである。


体験的にこの現実を知っている組織は大いに利用する。 そして大衆は先導されるのである。
「何といっても 内容は事実 」
だからである。
苦々しく思っても反論できない。しかも 反論自体も偏向されるのである。

それらの偏向に対応するには多方面の観測 (報道)による多次元の情報が必須なのである。
その意味において IT が良否 善悪 の両方に有効である。

しかし、あくまで確率である。 宇宙(人の判断も)相対的に変化するもので 絶対的なものは
この世には存在し得ないのである。 からなのである。


そんな意味において 報道の内容を完全に信じ込まない訓練が今の人間には必要かもしれない。

それは 人を憎まず 多く愛を経験し 輪廻転生の世界から 脱するためまたは天国に行ける道
になるかもしれない。 からである。







end