何故、不正はいけない?

戻る

もし、この世の出来事だけがすべてであるとしたら?

うまいものを食って、やりたいことをすべてしたほうがよろしい。
グッドだ!!
悪事を働く人たちは、そう思っているのである。

しかし、ちょと 考えてほしい。

人は何故生まれてきか?理由を知る者はいない。 
偶然であろうか? しかし、その偶然に至る時間たるものは永久に近い。
私や、あなたがここにいることは 奇跡に近い、綿々と続いた生の連鎖
なのである。

いくら科学が発達しようが、あなたが生まれて来ることを
予測し得ない。

あなたが
悪事を働くに至った理由はあなた自身の判断でなのである。 偶然ではないし、まして

過去の歴史のせいでない。

それを他に責任を転嫁することはできない。

つまり。悪を働く、不正を行うのは あなたの自己完結であるし、

どなたかの責任にすることはできない。 あなたが辞めればそれで終了だ。

不正を働いて なんでいけないのか??
金を沢山得ることは 良いことだ。 金を持っていれば、人はだれでも親切にしてくれ
頭を下げる  何故悪いことなのか??

もし、人が現世だけの生き物であれば、それでいいのだが、突然現れたものでもない。
綿々と続いた歴史の中で生まれてきたのである。

人は 現世だけのものではないし これからつながる
連鎖にも責任を有する。

つまり、人には前世 後世が実在する。 
 少し前まで、人にも死後の世界など
当たり前なのであるが  文明か科学とかいう迷信のおかげか分からぬが、欲にからまれ
認めたがらない。 

もし、あの世があれば、不正を行ったものはプラトンによれば10倍の苦しみを味あうことになる。
仏教徒では地獄、もちろん イスラムでも地獄はある。

ただし、彼も言っているが 現世においてその罪を償えば死後の世界に持ち込めない。
現世の罪は、現世で償わなければ後世に引き継ぐことになるから、不正の者たちは
転生しても、その苦しみは消えることはない とも言っているのである。

日本の仏教の一部では、「悪人さえ解脱」する、イスラムではジハード(聖戦)で死ねば
いかなる悪事を働いた人間も天国に行ける とされる。 

だが、その判断は、人がするのではない。 あくまで神様、仏さま の判断である。
単に経典を学び、理解した、かの宗教指導者が言ったところで、神様とお話もできない人間の判断など
まったくのところ詐欺師と一緒だ。

経典、聖典にしろ人の書いたものに過ぎず、経典自体も偶像なのである。
特定の像を敬うのと大差ない。 だが、虚偽のかたまりの小説が人の心を動かす力は
十分にある。
経典は小説のようにすべてがフィクションではないのであるから、小説よりも
真理に近いかもしれないが、真理を知りえない 小生つにとってはその判断は
できかねる。  したがって、善悪の判断は経典でも、人でも、裁判官でもつきかねる。

だが、あなたの、小生の心の中にある、善と思われる判断基準からして、
悪、不正を行った時に 現世では裁かれなくも、確実にあの世、後世にもちこされるのである。
その判断は、あなたの心、魂だ。 言葉で表せないものである。

この判断がなければ、この世は悪人の天国なのであるが、いまだに人の世界が滅ん
でいないということは、まだ、その概念が生き残っているということであろう。

さて、あなたは、あの世なるものが存在すると信じるか、信じざるか?

それを決めるのはあなたであり、自分である。。

確率は50%であり、その確率の間違いはない。