文化とは?

読んで字のごとしならば、文字化である。
英語ではカルチャーで、養殖(ようしょく)の意味もあるが、
小生は学者でも、研究者でもない、しかし、文化の意味を
普遍的に理解することは重要なことである。

何故か?

それは一人一人にその意味が違うからである。  無駄ないさかいを避けるためである。

その昔、「イージーライダー」なる映画があった。  最後に主人公達は散弾銃で田舎の百姓に撃たれ
虫けらのごとく死ぬのである。
いかにも象徴的な場面であった、  いろいろな意味で、都会ではあり得ない。   
そこがこの映画の訴えたい事だったのではないかと思う。
これは、日本とて同じ事である。

文化とは価値観なのである。

個人(又は団体・集団)の価値観が文化となる。
何に価値を見いだすか、価値というのは重要度と言った方が良いかも知れない。
お金だけの事ではないからである。  勿論都会では 文化が入り交じっていて、お金以上に
価値が有る物など存在しないかのようである。

悲しいかな、大都会はどこでも大筋一緒だ。
だが、問題は情報過多の環境で、東京も田舎も一緒にしてしまうことである。  
勿論文化、価値観は地域によって違うのにである。
お金が有っても、手に入らない物はたくさんあるにもかかわらず、いつの
間にか洗脳されお金があれば何でも手に入る錯覚に陥る。

余り見ないTVでは、ピザ屋が30分以内に暖かいピザを届けてくれ、180円で飲めるコーヒー屋
はすぐそこにある。
  全くそんな物は小生の周りにないのである。

これはおおいに マスコミやネット社会の害毒であると同時に、 彼らの価値観なのである。
その価値観は同一の情報を多くの人が共有し、同一価値観を育てる。

何故なら、同一の価値観の人間が大量に存在するのは、商売にとってはありがたいことである。
しかし、それは、自然界の生き物にある、アレロパシー(他感作用)を励起する。
生物の本能は、密集しすぎと判断すると、その状態を解消しようとする。 
  それは、種を残そうとする太古の昔から組み込まれているプログラムである。
    それはが、戦争になったり
              自殺になったりすることとなる。
     だが、この本能プログラムは、動物としての人間の種を絶やさないための
     プログラムであり、種を連綿と続かせるための生物の樹(家系図)を存続
     させるために必要不可欠なのである。

話が逸れそうだが、  じっと周りを見渡すと、隣には女房の実家があり、祖父母が暮らしている。
もう、かなりの高齢である。 と言う小生も60歳になる。
そう遠くない未来、えんま大王が蝋燭の火を吹き消すときがくる。
そのとき人は必ず死ぬ物なのである。   さて、死する事とは全ての物が無に成るのであろうか?  
はたまた、天国が有る物なのか?

娑婆(しゃば:現世)の人間には分からないこと事なのであるが、
死後の世界を信じるか否か、それがどんなところであるか? 

実はそれが
究極の文化である。 人間の価値観の最重要部なのであるが、
にぎやかな、情報過多という雑踏に紛れ込んで忘れたいのが、人情かも知れない。

しかし、太古の昔から死と、生きることはつながっているのである。
逃げても逃げ切れない、一対の現実なのである。

私も貴方にも訪れるが、今程死後世界について不信心の時代はない。
やたらに、幽霊を怖がるにもかかわらず、である。
死後の世界を信じる時代の方々は、死を恐れない、
   「先祖に会いに行ける。 うれしい。」   程度である。

そして、現代人は死を忘れたふりをしている。

究極の文化がそこにあると理解しなければ、自爆テロを強盗や人殺と一緒に見てしまうのであり、
生と死のつながりをどう理解しているか?  
それが現代人が見ようとしない価値観、本当の文化なのであろう。
また、
真の文化はお金で表せない、
死生観を無くせば、
「お金」(資本主義)信仰の信者に成るのは必然である。

何故なら、お金はキリストや釈迦と同様で存在し続けると思われており、
お金を神様のごとく拝むこととなる。
信者はお金のある限り死ぬことなど忘れ、永久に飯をくい、遊ぶこととができると
信じてしまう。

そういう小生も、半分そいつの信者になりかけていた。

余りおもしろい話にはならなかったけれど、もし、この文章を読む方がいらっしゃれば小生も幸いである。
その貴方に幸多い事を。


  参照:「死ぬこととは」(小生エッセイ集)